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水戸地方裁判所日立支部 昭和42年(ワ)85号 判決 1969年7月17日

原告 比佐吉典

被告 野原三千年

主文

一、被告は原告に対し金二〇万円及びこれに対する昭和四二年六月三〇日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は原告と被告との各自の負担とする。

事実

一、当事者の求めた判決

(一)  原告は「被告は原告に対し金六〇万円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された翌日(昭和四二年六月三〇日)以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

(二)  被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

二、請求原因として原告は次のとおり述べた。

(一)  訴外樫村和彦(当時四才)は昭和三七年一月二〇日午後四時一〇分過ぎ頃、日立市大久保町九二五番地先の市道において訴外今橋一郎(原告の被用人)の運転していた貨物自動車(原告所有のトヨエース茨4せ四〇六六号)に接触し、左下肢の部分に負傷した。

(二)  被告(大正六年六月一七日生)は岩手医学専門学校を卒業した開業医であり、昭和三七年当時、日立市大久保町九二五番地に野原外科医院として診療所を経営、診療に従事していた。あたかも右交通事故の現場は被告方医院玄関先の市道であつたので、運転手今橋一郎は直ちに被害者樫村和彦を抱いて被告方に診療を求めた。

(三)  当時被告は外出中だつたが、しばらくして帰宅し、被害者樫村和彦を診るや直ちに下肢の切断手術を決め、父親等の「何とか切断しないで治療して貰いたい。」旨懇願するのを拒否して、同五時三〇分頃被害者樫村和彦の左下肢を大腿部膝上五糎位から切断手術をしてしまつた。

(四)  これがため被害者樫村和彦は昭和三七年四月一九日右運転手今橋一郎とその雇主たる本件原告比佐吉典との両名を相手取つて損害賠償請求の訴を水戸地方裁判所日立支部(昭和三七年(ワ)第二四号)に提起した。その内訳は医療費として金四九、二五〇円を被告に支払い、その他附添人費として金二万円を要した。そして将来義足費として金六〇万円を要すべく、不具となつたことにより金一三、七一〇、〇六〇円の得べかりし利益を失い、その外に慰謝料として金一〇〇万円を必要とする。右の訴訟においては、これ等の合計額の内金五〇〇万円のみの支払を求める、というにあつた。

そこで右の訴訟係属の状況について本件原告比佐吉典は昭和三九年七月一日付書面で被告に対し民事訴訟法第七六条に基く訴訟告知をしたので、恐らくは被告においても右訴訟係属は明かなところである。

(五)  右訴訟において昭和四二年五月二五日本件原告比佐吉典は今橋一郎と連帯して被害者樫村和彦に対し金一二〇万円を支払うべき裁判上の和解が成立した。

(六)  本件原告比佐吉典としては、専ら自動車損害賠償保障法第三条によるものであるが、その損害金額が高額なのは被害者樫村和彦が前記交通事故を契機として、その左下肢を失い、生涯不具者の生活を送らなければならなくなつたことに因るものにほかならない。

(七)  被害者樫村和彦がその左大腿部膝上五糎の部位以下全部を失つたのは、前記自動車の轢断によるものではなく、被告の切断手術によるものである。被害者樫村和彦の負傷としては、骨折は(即ち複雑骨折は勿論、単純骨折すら)なく、ただ皮肉離れ(筋肉が弁状をなして一部分剥離し)骨膜も一部剥離した裂創にすぎず、従つて戸外路上の負傷なので傷口を十分に洗滌消毒のうえ化膿と破傷風との予防措置を講じて縫合すれば、患者の年令、栄養状態等からして組織の再生治療を期待し得べきものであつた。ダンプカーのタイヤにひかれ縦横滅茶滅茶に負傷した二才の男児の脚でさえも市井の一開業医が切れた血管や神経をつなぎ合わせて傷を縫合処置し、脚の切断をしないで治療し快癒させるに成功した事例(甲第五号証)のある現代医術の水準の下で、被害者樫村和彦に対する左下肢部切断の手術は余りに古風で、むしろ医療の名による傷害、暴行ともいうべきである。仮に右の処置が加害となすべきでないとしても、左大腿部切断の如く患者の将来に重大な影響を及ぼす手術を当該患者を一見のうえ、予防的に実施したのは医療本来の対症療法の程度を逸脱したものである。

(八)  右切断に先だつて、少くとも傷口を十分に洗滌し血管、神経をつなぎ合わせ、破傷風の予防その他化膿を防ぐ処置を講じ強心剤の注射その他全身症状を改善する手段をとつて一応その経過を観察して事に当るべきであつた。しかるに被告がかかる措置をとらなかつたのは、被告が学浅く、技未熟で神経、血管を縫合する手術、縫合する技量を有していなかつたものではなく、被告が医術の進歩に不断の注意と研鑚を怠り、ために縫合した場合、ときに生ずることあるべき患者の容態の変化に対応する処置を講じ得る知識と技術についての自信なく、要するに自らの職業的知識の吸収と技術の習得についての怠慢並に職業的良心の欠如に基く過失に因る。

(九)  右のことは右切断手術に先だつて被害者樫村和彦の両親が被告に対し「切断しないで何とか治療してもらいたい」と哀願した。しかし被告は破傷風になるので切断すると宣言し、被告自身、かつて軍隊に居たときに、このような傷を受けた兵隊を数多く診たが、放置すると壊疸になるので、切断してしまつた旨弁疏していることからも、十分うかがい得る。

(十)  更に被告は、右の点を追究されると、前言をひるがえして被害者樫村和彦には跟骨部に開放性複雑骨折があり、それが切断の原因であるとしようとしたけれども、それでは膝上からの切断を合理的ならしめないのに想到し、膝上からの切断は被害者樫村和彦の受傷部分の組織が挫滅して、その再生が不可能と診断されたので姑息的療法を避けて切断手術をしたものというにある。しかし、被告が手書した診療録には跟骨部の複雑開放性骨折の記載もないし、組織挫滅した旨の所見とそのために再生が不可能である旨を推測させる記載、表現もない。右診療録の所見の記載によると、患部は「皮と肉とが骨から剥がれている」ということだけであつて、その状況は、ぴしやつと恰も音でもするかのように、まくれていた、とあつて挫滅とは凡そ反対の様態を髣髴せしめるものがある。これ等のことは被告の弁疏を否定する事実とすべきである。

(十一)  次に診断書の件についてである。即ち被告は昭和三七年二月一九日付作成の診断書には

病名 左大腿切断

左大腿部膝上五糎部位より切断、昭和三七年一月二〇日より入院加療中、全治二月二八日迄要する。

と記載し、恰も轢創のように誤解されるような記述となつている。

更に被告は昭和三七年三月一九日付作成の診断書には

病名 左大腿切断

右は昭和三七年一月二〇日交通事故により左下肢膝下部の開放性複雑骨折のため左大腿下端より切断せるものであります。

と記載した。

これ等の診断書は被告の単なる過誤によるものではなくその作意に基く虚構の記載であり、このことは被告が、これにより刑法第一六〇条の罪によつて処断されたことに徴しても明白である。

被告が、前後の弁えもなく、虚構な診断書を作成発付したのは、被害者樫村和彦に対する大腿部切断手術が対症療法でなく、医師に許された治療行為の範囲を逸脱しているので、これを蔽わんとしてなした窮余のことであり自己の非を交通事故そのものに転嫁しようとした被告の心情を暴露するものにほかならない。

(十二)  以上要するに被害者樫村和彦が不具者になつたのは被告の医療上の過誤に因る。少くとも運転手今橋一郎の自動車運転の過失と被告の医療上の過誤による前記の過失とに因る共同不法行為を形成したというべきである。

そして原告は今橋の使用者として今橋一郎と連帯して前記のように被害者樫村和彦に対して金一二〇万円を損害賠償として支払うべきものとされているので、前記事情から、被告はその半額金六〇万円を負担すべきである。従つてこれが支払を求償権の行使として本訴で求める。

三、請求原因に対する答弁として被告は次のとおり述べた。

(一)  請求原因第(一)項は争わない。

(二)  同第(二)項も争わない。

(三)  同第(三)項中「当時被告は外出中だつたが、しばらくして帰宅し」の点、「樫村和彦の左下肢を大腿部膝上五糎位から切断手術した」の点はいずれも認めるけれども、その余は争う。即ち被告は被害者樫村和彦の一般状態及び局所を診断した結果、切断するほかはないと判断し、父親の意見を求めたところ、暫時父親と母親とが相談したうえ、「おまかせします。」という返事だつたので、輸血及び強心剤の注射をし、準備をして約一-二時間後に切断手術をしたものであつて、父親等の懇願を拒否して直ちに切断手術したものではない。

(四)  同第(四)項は不知。

但し訴訟告知の点については当時何か通知を貰つたことはあるが、それが果して訴訟告知であつたか否かは現在書類を紛失しているので答えられない。

(五)  同第(五)項は不知。

(六)  同第(六)項中、樫村和彦が左下腿部を失つたことは認めるけれども、その余は不知。

(七)  同第(七)項は争う。

被害者樫村和彦は左膝下から足関節に至るまで広範囲の挫滅創にて皮膚は弁状に残存していたけれども、筋肉、血管、神経など広範囲に挫滅断裂かつ泥土などにて甚しく汚染され、大静脈大動脈なども切断され、大量の出血を伴い脛骨は膝下部より足関節まで露出し、骨膜が広範囲に剥離されており、かつ、足関節の一部の開放性骨折などを認めた(その他一般状態は顔面挫創眼瞼挫創などがあり、大出血のため全身状態は極めて悪く、顔面蒼白脈も弱かつた)ので、最少限度健康部である膝関節の直ぐ上部から切断せざるを得なかつた。この切断は本件自動車事故に因る下腿部負傷に基因するものである。

骨折はなかつた旨原告は主張するけれど、被害者樫村和彦の左足関節の一部には開放性骨折があつた。しかし、骨折の有無は切断の絶対的条件ではなく、むしろ筋肉、神経、血管の再生能力如何の方が問題であつて、これらの再生が可能な場合は、骨折があつても切断の対象とはならない。

原告は「化膿と破傷風との予防措置を講じて縫合すれば治癒し得る」旨主張するけれども、本件負傷の具体的状態においては、到底そのような姑息手段を講じて足れりとするような実情ではなかつた(もつとも本件手術後、破傷風血清の注射二本を施している。)。

原告が挙示するダンプカーのタイヤにひかれた二才の男児のような事例(甲第五号証)も、傷の程度如何によつては有り得ようが、本件はとても、そのような処置を可能ならしめる状態ではなかつた。

原告は「本件切断手術が対症療法の範囲を逸脱した医療行為であつた」旨主張するけれども、これは原告側の独断である。生命が危険に頻する場合、これを救うため最善の手段を講ずるのが医療行為の本旨とする。もしも本件の場合切断しないでおいたとすれば、百パーセント細菌感染の可能性があり、当該全身状態では到底耐えることができないと認めるのが医師の良識である。これを否定しようとする原告の主張こそ、却つて被害者樫村和彦を死に至らしめるものであつて、結局原告の賠償責任をより重大ならしめたであろうと推断される。

要するに原告の主張は非を被告に帰せしめようとするいいがかりにすぎない。

(八)  同第(八)項は否認。

(九)  同第(九)項は争う。

被害者樫村和彦側の哀願をしりぞけて切断手術をしたものではない。破傷風になるから切断すると宣言したこともない。放置すれば壊疽になる旨を被害者樫村和彦の両親に語つたか否か記憶ないけれども、語つたとすれば、それは被告の実際の経験を伝えたものであつて、決して弁疏ではない。

(十)  同第(十)項は争う。

被告作成の診療録の記載は簡単であつて、骨折の記載は省略されてあるが、当時のレントゲン写真によつて明らかである。直接挫滅の記載はなくとも、その他の記載及び図示によつて当時の診断に結果を想起再現するに十分である。「ぴしやつと恰も音でもするかのように」との原告の主張は否認する。

(十一)  同第(十一)項中、原告主張のとおりの診断書二通を被告が作成したこと、被告が処断されたことは、いずれも認めるが、その余の点は争う。被告が故らに虚偽の記載をしたのではなく、診断当時の記憶を十分に再現することなく軽々に記載したため、真実に合致しない点を生じた結果となつたものである。

(十二)  同第(十二)項は否認。

四、証拠関係<省略>

理由

一、争のない事実

(一)  被告は岩手医学専問学校を卒業した開業医であり、昭和三七年当時、日立市大久保町九二五番地に野原外科医院として診療所を経営し、自ら診療に従事していた。

(二)  たまたま被害者樫村和彦(当時四才)は昭和三七年一月二〇日午後四時一〇分過ぎ頃、被告方医院の玄関先の市道(非舗装の砂利道)において運転手今橋一郎(原告の被用人)の運転していた貨物自動車(原告所有のトヨエース茨四せ四〇六六号)に接触し、左下肢の部分に負傷した。そこで運転手今橋一郎は直ちに被害者樫村和彦を抱いて被告方に診療を求めた。その結果、被告は診察のうえ、その晩のうちに右負傷した左足の左大腿部を膝上五糎位のところから切断手術をして切断した。

以上の事実は当事者間に争がない。

二、そこで原告は「右切断手術は対症療法の範囲を逸脱したものである。」旨主張するので判断する。

(一)  成立に争のない甲第一号証から第十二号証まで、乙第一号証から第八号証まで、弁論の全趣旨を総合すれば次の事実を認めることができる。

(1)  運転手今橋一郎が被害者樫村和彦を抱えて被告方に診療を求めた時は、たまたま被告自身外出中で不在であつた。そこでとりあえず、診療宅において看護婦が応急の手当(止血バンドをしたり、消毒ガーゼを当てたり)をした。

(2)  被害者樫村和彦が運び込まれてから三〇分間位経過した頃に被告は帰院して、直ちに診察にとりかかり、被害者樫村和彦の顔面蒼白、苦悶症状を呈し、全身状態として悪いと判断し、更に左足膝下から足の甲あたりまで縦に一部皮膚が切れて、それに伴い肉の一部も剥離して出血した跡も明かでピンセツトで切れていた皮膚を開いてみると前脛骨の骨膜が一部露出し剥離していた。しかし血栓状態はなかつた。そこで患部たる左膝下部についてレントゲン撮影により骨折の有無を調べたところ、骨折はなかつたし、少くとも切断手術の原因となる骨折はなかつた。そして被告は被害者樫村和彦の父一郎に対し「このままでは生命にかかわる。左足の負傷部分を縫い合せる等の方法では、命を助ける自信もない。破傷風にかかるおそれもあり命を助ける最善の方法は切断するほかはないと思うが、どうするか。」という趣旨のことを述べて、意見を求めた。これに対し父一郎は被告に対し「切断しないですむものならば、何とか切断しないで治療してもらいたい。」という趣旨のことを述べてお願いしたところ、これに対し被告が「切断しなければ命が危い」と返事していたので、素人として医師の言を信頼して、「切断するともお任せします。」と述べて、切断手術に同意した。

(3)  そこで被告は前記のとおり左大腿部膝上五糎位のところから切断する手術を実施して切断した。右切断手術の前であつたか後であつたかは判然としないけれども六〇万単位のペニシリン一本、強心剤ビタカンファー二本、レスタミンコーワを各注射し、輸血二〇〇ccをし、左大腿部に破傷風血清注射二本を注射した。

(4)  その後引き続き被害者樫村和彦は被告方に入院加療した結果、経過良好により同年二月二八日退院出来た。

(二)  ところで被告は切断手術に踏切つた根拠として次の三点をあげていると共に、同趣旨のことを別の刑事事件で検察官に述べたり或は前訴(当庁昭和三七年(ワ)第二四号)で証言したりしている。

1  左足の患部が土砂で非常に汚染されていた。

2  組織挫滅による組織再生不可能。

3  破傷風、ガス壊疽に至る危険性がある。

右の点は前出の甲第十二号証、乙第三、四、五号証によつて認め得る。

(三)  しかしながら、今日に至つては唯一の証拠ともいうべき診療録(この一部は被告が手書きし、その余は被告方の看護婦が手書きしたもの)には右の三点について明記されていない(この点は前出の乙第一号証によつて認め得る。)。本件交通事故現場が砂利道であり、左足患部の皮肉が弁状にそれ相当に大きく剥離し骨膜も一部剥離していたことからみれば、右三点による切断根拠も考えられないというわけではないけれども、それだからといつて、その時点において、果して切断までの手術に出たのが適切な医療であつたかは疑問といえる。即ち、交通事故現場の状況、負傷の程度からみて、或る程度、患部の皮膚や筋肉等の組織が破壊されていたのは明かであるけれども、血管や神経にどの程度の損傷があつたのか、患部の汚染の程度は如何なる程度のものであつたのか、筋肉の挫傷がどの程度のものであつたのか等について右診療録に記載ないのみならず、これ等を推測せしめる直接的事情も見当らない。従つて負傷部分の組織が再生不可能であつたと断ずるのには証拠不十分というべきである。のみならず前出の甲第四号証によれば左足の患部等に骨折があつたとは認め難い(なお膝下部に骨折がなかつた点は被告が認めているところであり、跟骨部に骨折あつた旨述べているけれども、切断の根拠ではない旨を自ら述べているし、更にこの点につきレントゲン写真では正面からのみ撮つてあつて、跟骨部にすら骨折があつたかについて確め難いし、診療録にも記載ない。)。また破傷風には血清があり、現に手術の際に注射しているのでこれを用いれば予防出来るし、また壊疽についても予防措置を施療し、入院させるので、その徴候が現われたときは可及的速かに発覚し得るのであるから、そのようになつてから速かに切断する等の挙に出て然るべきものであろう。右負傷の状況から破傷風や壊疽にかかる可能性はあつたにしろ、さりとてその可能性に対して切断手術以外の予防措置をとればとり得る状況下にあつてみればその予防措置を十分施療し経過を観察して然るべきであつたと考えられる。

(四)  季節も厳冬の時であり、被害者樫村和彦の親としても出来ることならば切断しないことを願望していたのであつたから、少くとも切断する前に患部を洗滌消毒し、縫合出来るものは縫合し、破傷風の予防措置は勿論のこと化膿しないような措置をとり、全身状態を回復する手段をとつて、ともかくも経過を観察したうえでことを決めてよかつたといえる。或は健康体であつた被害者樫村和彦であつてみれば、治療に時間と費用がかかつたとしても切断しないで治療の可能性も無きにしもあらずといえる。従つて以上の事情を総合してみると患者側の同意があつたからといつて負傷後二時間余位経過した時点において左大腿部膝上五糎位から切断した手術はその手術前に医師として切断しないですむ最善を尽した治療を施すべき義務があつたのに、それをおざなりにして施術されたもので対症療法の程度を過つた(或は軽率であつた)ものといわれても致し方がないというべきである。

(五)  なお診療録のうち「Diagnose」(診断)の欄に「左大腿下端切断」と記載がなされてあるけれども、これは記載する欄が異つていて、「R.P」(処方)欄に記載すべきものであり、この診断の欄に記載すべきであつたものは「左膝下部挫滅創(組織挫滅)兼跟骨部開放性複雑骨折」が適当であつた旨、被告は前訴の証言で述べている(前出の乙第五号証によつて認め得る。)。しかしながら「左膝下部挫滅創(組織挫滅)兼跟骨部開放性複雑骨折」の記載が診療録のどこにも記載されていない。そして被告は昭和三七年二月一九日付作成の診断書には「病名 左大腿切断。左大腿部膝上五糎部位より切断、昭和三七年一月二〇日より入院加療中、全治二月二八日迄要する。」旨を記載し、更に同年三月一九日付作成の診断書には「病名 左大腿切断。右は昭和三七年一月二〇日交道事故により左下肢膝下部の開放性複雑骨折のため左大腿下端より切断せるものであります。」旨を記載した。しかし右の如き骨折が真実は存在しなかつたため昭和三九年六月被告は後者の診断書について虚偽診断書作成罪にとわれ、罰金一万円の略式命令を受け、そのまま確定させた。これ等の事実は当事者間に争いがない。このような診療録や診断書が誤記だということからすれば特段の事情も認め難いところからして、本件切断手術そのものをも軽卒な医療にいでたものではないかと推測せしめられる。

(六)  更に昭和三九年七月一日付(裁判所受付は四日)で前訴(当庁昭和三七年(ワ)第二四号)において訴訟告知書が本件原告比佐吉典から本件被告野原三千年宛に提出され、この訴訟告知書副本は本件被告野原三千年に同年七月十一日に執行吏送達された。この訴訟告知書には「左大腿部切断は対症療法の範囲を逸脱した過失による。比佐側で被害者樫村に損害賠償したときには野原三千年に求償する所存である。」旨記載があつた。しかし、これに対し被告野原三千年は全く訴訟に参加しなかつた。これ等の点は当裁判所に顕著なところである。右の如き訴訟告知については医師という立場からして被告としても異例のことと推測されるところ、本件切断手術に対症療法として手落ちがなかつたとすれば、それ相当の応答なり或は訴訟参加があつて然るべきものと考えられるところ、全然応答がなかつたのは、被告自身或る程度の責任を負担するも致し方ないという態度であつたとも考えられる。

三、従つて被害者樫村和彦が左足切断手術による不具者になつたのは、運転手今橋一郎の自動車運転の過失による傷害(加害)行為に基因するとともに(なお今橋運転手に業務上過失があつた旨原告自ら主張するところである。これがため罰金三万円の略式命令に処せられている。)、被告の対症療法についての軽卒な医療による過失とに因る、いわゆる共同不法行為のためであつたというべきである。従つて被害者樫村和彦に対する損害賠償責任は、いわゆる不真正連帯債務の関係になる。そして、かかる不真正連帯債務を負担する者の内の或る者が賠償をしたときには他の者に対して、その実質的な関係に基づいて負担すべき責任の割合に応じて求償権を取得するというべきである。

四、ところで昭和四二年五月二五日次の如き裁判上の和解が成立した。即ち「本件原告比佐吉典及び運転手今橋一郎の両名は連帯して被害者樫村和彦に対し本件交通事故による損害金として金一二〇万円の支払義務があることを認め、内金五〇万円は和解の席上授受を了し、残金七〇万円については昭和四二年から昭和四六年まで毎年十二月末日かぎり金一〇万円宛(計金五〇万円)を、原告方へ持参又は送金して支払うこととし、この金五〇万円をとどこおりなく支払完了したときには、その余の金二〇万円を原告は放棄する。」旨の和解条項で決つた。和解金額の算出は専ら被害者樫村和彦が左足の膝上からの切断されて生涯不具者になつたことについてであつた。この点は前出の甲第一号証によつて認めることができる。

そして本件原告比佐吉典(使用者)としては運転手今橋一郎と連帯責任を被害者樫村和彦に負担したけれども、今橋一郎に経済的に、事実上、支払能力がないため、本件原告比佐吉典のみが実質的に支払う関係にある。他面被害者樫村和彦としては被告に対して損害賠償請求する意図を有しない。このことは弁論の全趣旨から明かである。

三、以上、諸搬の事情を参酌すると被告の負担すべき内部責任の割合として金二〇万円をもつて相当と解する。

従つて原告は被告に対し裁判上の和解金の内金二〇万円に限り求償権を有するものというべきであるからこの金二〇万円とこれに対する本件訴状が被告に送達された翌日たる昭和四二年六月三〇日(この送達の翌日の点は当裁判所に顕著である。)以降右完済に至るまで年五分の割合による民事法定利率の割合による遅延損害金の支払を求める限度において本訴請求を認容し、その余を失当として棄却する。訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 龍前三郎)

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